発達障害の方のどんなこだわりも止められる? (1)こだわりについての考えかた [障害 福祉 自閉症 広汎性発達障害]
どんなこだわりも止められる?
(1)こだわりについての考えかた
一般社会において、自閉症者のこだわりが、その行動自体が、
奇異な行動であったり、パニックがものすごく異様な行動に見えることは、
現在でもいたしかたないことであると思えます。
しかも、挙句の果てに、ご家族の子育ての仕方に問題がある(躾けていない)
と思われることも、まだまだ少なくありません。
そんな社会の中で、どんな理由にしろ、強固なこだわりやパニックが始まって
しまったとしたら、そこに居合わせた、ご家族の方や支援者は、その行動が
収まるまで、ひたすら待つしかないのでしょうか?
基本的には、よけいなアプローチをせずに、そのこだわりが、自閉症者が
納得が行くまでおこない終わるのを待つのが、大きな混乱を起こさずに、
次の行動に移行するための基本ではあると思いますし、情報化社会である現代、
この様なことは、自閉症者に関わる者にとっては、一般常識であるとも言えます。
しかし、自閉症の研究や療育方法の考案が進んでいる今現在、自閉症者の
こだわりは、大きな問題行動して捉え続けています。
表面的には、「自閉症者本人が一番苦しいのだ。」という表現の仕方が
一番多いように思えますが、ぼくの考えでは、その、かたくなで、強固なこだわり
行動が出現したときには、本人よりも、ご家族や支援者の心理的負担の方が
勝っているというように考えています。現実に生活を共にするということは、
自閉症者の心理的状態の問題だけではなく、付き添う方の心理的状態も
同時に考慮すべきです。
多くの場合、理屈ではわかっていても、叱らずにはいられない、どうしても
動いてもらわなければ困る。その状態に居続けることに耐えられないということも、
けっして珍しいことではありませんし、その極限状態の中で、ついついきつく叱って
しまい、あとで自己嫌悪に陥ることも、けっして珍しいことではないと思います。
自閉症者のこだわりや、パニックが起きてしまって、治まるまでの間、
奇異な視線や、蔑視されるような状況、不適切な介入などを避けるためにも、
一般の方への発達障害への理解、啓蒙活動というものが行われています。
しかし、一般社会において、それを周知してもらうのは、とても難しいことです。
一般的には、どの夫婦の間にも、「障害を持つ子どもが生まれるかもしれない。」
という基本的なことさえ、学校教育では知らされておらず、自分の身近なこととして
本気で考えて、一般社会の問題として考える風潮には、まだ、ほど遠いように
思えてなりません。
自閉症者の個人の意見や行動を全面的に尊重するということは、それを
見守るご家族の方や支援者に、普通の方では想像できない、心理的負担を与えて
いるということなのです。
自閉症者に対するノウハウを述べるのならば、この事実を認めた上で、
そのノウハウを公表しなければならないと思います。
「こだわりを容認したほうがいい」と言われ続けながら、今だに、こだわりが、大きな問題行動として扱われる理由 [障害 福祉 自閉症 広汎性発達障害]
「こだわりを容認したほうがいい」と言われ続けながら、
今だに、こだわりが、大きな問題行動として扱われる理由
強固なこだわり行動を見せている自閉症児者に対して、支援者や、
そのご家族が、無力感を持ち、途方に暮れることはよくあることです。
そして、その無力感が挫折感となり、関わる側のプライドを傷つけ、その
先に、度がすぎた叱責や体罰が出現することは、容易に想像できること
です。
こだわり行動が、目立った問題行動として取り上げられる背景としては、
一般社会において、一般社会における生活の中で、ご家族の方や支援者が、
自閉症者がこだわることで、生活の営みがスムーズに行えない。周囲の人たちの
社会的活動に支障をきたす。その行動が奇異な行動に見えることなどで、
周囲の一般の方に迷惑をかけているのではないか?
という自責の念を強く持たれることで、心労を重ね、自ら社会との接点を
閉ざしてしまう苦しさといった、心に直接、訴える苦痛があるからだと、
ぼくは思っています。
反面、常同行動、こだわりといった行動が自閉症者にとっては、リラックス
効果をもたらすらしいという研究報告は、Huttなどによって、随分、以前から
指摘されていました。
しかし、Hutt等の研究結果をこだわりを肯定的に捉える研究者は、自閉症者が
こだわりや常同行動を落ち着いて生活するために必要な行動として捉え、
全面的に容認する考えかたが主流のようです。
教育や福祉の現場において、自閉症児者がなにかストレスを感じているなあと
見えるときに、常同行動や、こだわりを見せることがよくあります。
確かに、それらの行動を繰り返しているうちに、表情が和らいでくることも事実で
あるという実感もあります。
ただ、軽いストレスがかかった状態ならば、短時間ですみ、支援や介護をする方
の心理的負担は、比較的、軽くすみますが、強いストレスがかかったり、慢性的に
ストレスがかかった状態(おそらくは精神疾患との合併状態)では、いつ、
そのこだわりが、終わるか分からないという、周囲と比較的して、あまりにも奇異で
孤立した状況に追い込まれます。
これは、実際、経験しなければ共感できない、耐え難い心理的負担ですし、
ぼく自身に言わせれば、逆体罰とも言えるべき状態と考えています。
自閉症者の、こだわりは、自閉症者自身の障害特性や、当事者の権利という
障害者側からの視点だけで考えるだけでは、永久に解決しない、問題であると、
ぼくは、考えています。
自閉症のこだわり 1 [障害 福祉 自閉症 広汎性発達障害]
自閉症のこだわり 1
自閉症の3代特徴の1つとして、こだわりがあることは周知の事実です。
しかし、そのこだわりに、自閉症者独自の発達段階があるらしいことは、
あまり知られていません。
その多くは、幼児期の感覚的な揺さぶり運動などの、他者を意識していない
こだわりから、年齢をおうごとに、独特の対人関係の構築を元に、第2者を意識
した、難解なこだわりに発達(変化)していきます。
一般社会において自閉症者と、付き合うのに大きな障壁となるのは、この複雑
化したこだわりです。それらのこだわりは、第二者に制止されることで、多くの場合、
パニックを起こしたり、全身を硬直させ、まったく動かないという行動を示し、それら
の行動を繰り返すことで、重症化することは、残念ながら珍しいことではありません。
こだわりに、どう対処するかは、定説では、こだわりを強制的に止めるのではなく、
そのこだわりを上手く活用するか、他の害のないものに興味を移すことが薦められ
ています。
その反面、このこだわりを制止することを目的とされることが、今だに多く見受けら
れます。それは、やはり、自閉症者のこだわりと、直接、向き合いながら生活を続けて
いくことの困難さや、疲労度が大きいことが、大きな理由と考えられます。
それ故なのか、直接、こだわりを制止することを目的に介入することで、劇的な変化を
もたらすことも、一部の著作物で報告されていますし、私自身も経験したことがあります。
この介入による変化は、あまりに短期間に、しかも大きな変容をもたらすので、自閉症者
に関わるものとしては、甘美なものに見えるかも知れません。
今回は、こだわりに対して制止することで、どの様なことが起きるのかを自分なりにまと
めてみたいと考えています。







